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東京地方裁判所 平成3年(特わ)1403号 判決

主文

被告人を懲役六か月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

東京都港区港南五丁目三番三四号株式会社ニチレイ品川埠頭物流サービスセンターで保管中のアブラソコムツ約一万一一六〇キログラム(平成三年東地庁外領第三一三五号符号11及び12)及びアブラソコムツの加工品一〇甲(平成三年東地庁外領第五七八四号符号1)を没収する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(犯罪事実)

被告人は、イチウロコ水産の名称で魚の卸業を営んでいるものであるが、いずれも法定の除外事由がないのに、

第一  平成三年四月四日、東京都中央区築地四丁目九番八号有限会社伊セ孝商店において、有害な物質が含まれる食品であるアブラソコムツの加工品一四甲を、同社に対し、代価一四万一六〇〇円で販売した

第二  同年六月二四日、千葉県佐原市佐原ロ二〇二八番地の一〇八所在のイチウロコ水産超低温倉庫において、有害な物質が含まれる食品であるアブラソコムツ約一万一一六〇キログラムを販売の用に供するため貯蔵した

第三  同年一一月六日、東京都中央区築地五丁目二番一号東京都中央卸売市場築地市場内水産物部塩干卸売場一階所在の卸売業者大都魚類株式会社荷置場において、有害な物質が含まれる食品であるアブラソコムツの加工品一〇甲を、販売の用に供するため貯蔵した

ものである。

(証拠の標目)省略

(補足説明)

第一  弁護人及び被告人は、アブラソコムツは食品衛生法四条二号にいう「有害な物質を含む食品」ではない旨主張するので、以下、この点について判断する。

一  関係各証拠によると、以下の事実が認められる。

(1) アブラソコムツは、その肉中に約二〇パーセントの脂肪を含有し、その脂肪のうちの約九〇パーセントがワックスである。

(2) ワックスはヒトの消化酵素によってはほとんど消化されずに、そのまま排泄され、このため、アブラソコムツを食した場合には、油状の便が出たり、あるいは便と一緒に油分が飛び散るような状態となるいわゆる下痢症状が起こることがある(以下単に下痢症状という場合にはこのような症状をいう)。また、ワックスのようなほとんど消化されないような物質が消化器官内に入った場合には、消化器官の正常な消化呼吸を妨げることがある。

(3) アブラソコムツを食した結果、前記のような下痢症状が出たことにより、食中毒として報告された事例が存在する。右各事例をみると、事例の大部分は保育園等での食事の際、おかずとして出された調理済のアブラソコムツを食した結果、園児や職員らが下痢症状を訴えたというものである。また、右各事例によると、下痢症状は、アブラソコムツの切身一切れ位(四〇グラムないし一二〇グラム程度)を食した場合に発生しており、幼児だけでなく大人にも発生している。

(4) アブラソコムツに含有されているワックスは、加工を加えても、容易には除去できず、現在のところこれを除去する技術は開発されていない。

二  以上の事実を前提にアブラソコムツの有害性を検討するに、食品衛生法四条二号にいう「有害な物質」とは、物質それ自体には毒作用はないが、物理的に人体の健康に危害をもたらすものをいうものと解されるところ、食品衛生法は、「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止し、公衆衛生の向上及び増進に寄与することを目的」(同法一条)として種々の規定をもうけているのであるから、同法四条二号所定の「有害性」の意義も、右目的に適うよう解釈されなければならない。

1 まず、前記のような症状を引き起こす物質であるワックスが「有害な物質」と言えるかについて検討するに、前記のとおり、ワックスはヒトの消化酵素によってはほとんど消化されないため、消化器官に悪影響を与えて正常な消化吸収を妨げる上に、油がそのまま排泄されることによる下痢症状も引き起こし、現に食中毒として届け出がなされている。

弁護人らは、アブラソコムツを食したことによる食中毒事例では、腹痛や発熱等がなく、単に油状便が出ただけであり、この程度では食中毒とはいえない旨主張するが、食中毒に該当するか否かは別として、ワックスが右に述べたような影響を人体に与える物質である以上、「物理的に人体の健康に危害をもたらすもの」ということができ、前述した法の趣旨からしても、これを有害な物質と認めるのが相当である。

2 次に、アブラソコムツの摂取量との関係で「有害な物質を含む」と言えるかについて検討するに、弁護人は、アブラソコムツは食べ過ぎたり、食べ方を間違えなければ下痢症状を呈することはなく、また、被告人がこれまでに大量にアブラソコムツを販売しているにもかかわらず、被告人の販売したものについては食中毒が発生したとして届け出られた事例がないうえ、アブラソコムツによる下痢症状が極めて稀にしか起こらないことからすると、下痢症状が起こるのは鮮度に問題のあるアブラソコムツを身体の小さい幼児が摂取したためであると主張する。

この点、前記の食中毒事例によると、概ねアブラソコムツの切身一切れ(四〇グラムないしは一二〇グラム)を食することによって大人においても下痢症状が発生しているところ、国民栄養調査結果によれば、日本人が魚を一日に摂取する量は平均九五グラム程度であり、被告人もアブラソコムツを一切れ七〇ないし八〇グラムの切身にして販売している旨供述しており、一般にこの程度の量が魚を食する際における一回の通常の摂食量であるものと認められる。そうすると、前記食中毒事例では、このような通常の摂食量のアブラソコムツを食したことによって症状が発生していることが認められるから、食べ過ぎなければ症状が発生しないとする弁護人の主張は採用できず、また、これを前提とする主張も採用できない。なお、弁護人は、被告人が大量販売したアブラソコムツからは食中毒発生の事例が存在しないというが、アブラソコムツによる油状便等の症状は比較的軽微なため、集団で症状が発生したなどの特殊な場合を除けば保健所等に届け出ないことも考えられるところであり、必ずしも弁護人主張のように鮮度に問題があるために食中毒事例が発生したものとは認められない。

さらに、前記食品衛生法の趣旨及びアブラソコムツを食した場合の影響には相当の個人差があることも考慮すると、現に通常の摂食量によって下痢症状が発生した事例が存在し、その発生のメカニズムも明らかになっている以上、アブラソコムツは食品衛生法四条二号にいうところの「有害な物質が含まれるもの」と解するのが相当である。

3 なお、アブラソコムツは、前記のとおり通常の摂食量で下痢症状が発生し、また、現在のところ、アブラソコムツが含有するワックスは、加工を加えても容易には除去できないものであるから、同号ただし書の厚生大臣が定める場合(食品衛生法施行規則一条「有害な又は有毒な物質であっても、自然に食品又は添加物に含まれ又は付着しているものであって、その程度又は処理により一般に人の健康を害う虞がないと認められる場合」)にも該当しない。

第二  弁護人は、アブラソコムツの販売を刑罰で取り締まることは適切ではなく、また、アブラソコムツが食品衛生法四条二号に該当するとして被告人を処罰することは適正手続条項に違反する旨主張するのでこの点について判断する。

一  弁護人の右主張のうち、まず、アブラソコムツは昔から食べられていた魚で、食べ過ぎると油が下痢状になって排泄されることも知られており、アブラソコムツを食べた結果健康を害した事実はないから、刑罰で取り締まるのは適切ではないとの主張については、前述のとおり、必ずしも食べ過ぎた場合のみに症状が発生するものではなく、健康を害しないわけでもないから、「飲食に起因する衛生上の危害の発生を防止する」という食品衛生法の趣旨に照らし、刑罰をもって取り締まることが不適切とは言えない。

二  次に、食品衛生法四条二号の「有害な物質が含まれる」との文言が不明確であるので適正手続に反するとの主張については、右文言が不明確なものとは認められない上、被告人は、アブラソコムツの性状やアブラソコムツによって下痢症状を来たした事例が存在することも十分認識していたのであるから、被告人に対して刑罰を科することは何ら適正手続条項に反するものではない。

(法令の適用)

罰条 いずれも食品衛生法三〇条一項、四条二号

刑種の選択 いずれも懲役刑を選択

併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い判示第二の罪の刑に法定の加重)

執行猶予 刑法二五条一項

没収 刑法一九条一項一号、二項本文(アブラソコムツ一万一一六〇キログラムは判示第二の犯罪行為を組成した物、アブラソコムツの加工品一〇甲は判示第三の犯罪行為を組成した物でいずれも被告人以外の者に属しない。)

訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文

(量刑の事情)

本件は、有害な物質が含まれる食品であるアブラソコムツを販売、貯蔵したという事案である。

被告人は、昭和五三年ころから大量にアブラソコムツを取り扱うようになり、その後保健所から、昭和五六年一月一〇日付厚生省環境衛生局乳肉衛生課長名義の「アブラソコムツについては食品衛生法四条二号に該当する食品として取り扱うべきものと解する」旨の照会回答及び通知に基づき、アブラソコムツの販売等を差し控えるように警告を受けるなどしたにもかかわらず、依然としてその販売を継続し、本件販売、貯蔵に及んだものである。また、被告人は、厚生省の右通知の影響によりアブラソコムツの値段が下がった機会をとらえ、これを大量に販売して莫大な利益をあげてきた上、判示第一、第二の販売、貯蔵の事実によって起訴された後にも、判示第三の新たな貯蔵を行うなどしており、犯情は悪質といわざるを得ない。

他方、前述のとおり、アブラソコムツの有害性は、消化器官の正常な消化吸収を妨げ、下痢症状を引き起こす程度のものであり、人の生命にかかわるほど重大なものではない。また、被告人には、罰金刑に数回処せられた以外に前科がなく、これまでアブラソコムツの販売、貯蔵を除けば魚介類販売業者として真面目に働いてきたことなどの事情も認められる。

以上のような事情を総合考慮して、被告人を懲役六か月に処するとともに、その刑の執行を二年間猶予するのを相当と認めて主文のとおりの量刑をした次第である。

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